生瀬勝久の芸名が「槍魔栗三助」だったのはいつ?ポツンと一軒家に出演

芸能人

名バイプレイヤーとして活躍中の生瀬勝久さんですが旧芸名が槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)だと知りました。強烈な芸名ですね…いつまでその名前で活動し、どうして本名に戻したのかまとめてみます。

生瀬勝久さんのプロフィール

  • 名前 生瀬勝久
  • 生年月日 1960年10月13日
  • 出身地 兵庫県西宮市
  • 身長 178㎝
  • 体重 70㎏
  • 家族構成 12歳年下の妻と中学生の息子1人

旧芸名「槍魔栗三助」で活動していたのはいつ?

学生時代に所属していたお笑い研究会で漫才コンビを組んでいたようです。その相方さんが芸名を考えてきて、その相方さんが芸名を考えてきて、槍魔栗三助と鰻登源八どっちにするか聞かれ槍魔栗三助を自ら選んだと語っています。

学生時代から劇団「そとばこまち」に所属し1988年には4代目座長に就任しています。以来、劇作家・演出家としても活躍していました。

その後、舞台で活躍する傍ら、読売テレビ「週刊TV広辞苑」などの深夜番組のバラエティーにも出演し人気を集めたようです。あの探偵ナイトスクープの探偵としても芸名で出演してました。その後も活動の幅を広げていかれたようです。

今では俳優のイメージが強い生瀬勝久さんですが、当初はバラエティー番組でも活躍されていたということで、芸名での活動も納得できますね。インパクトの強い名前は昭和の時代を物語っているようです。

本名の生瀬勝久で活動することになったきっかけ

28歳でNHKの朝ドラ「純ちゃんの応援歌」にレギュラー出演することに決まったとき、NHK側から芸名である槍魔栗三助では出れないと言われたそうで、本名の生瀬勝久で出演しました。

その後も芸名である槍魔栗三助で活動していた生瀬勝久さんですが30歳の頃に本名での活動に統一したようです。きっかけは市議会議員として教育問題に取り組んでいた母親への配慮だったと言います。

息子が役者になったことを周囲には話していたそうですが、本名の生瀬勝久で探してもどこにも見当たらないと言われると芸名を出すことに困っていたのでしょう。

その話を聞き、本名である生瀬勝久での活動を決意されたようです。

人気が出てきたと同時にテレビへの出演が増えての決断だったのですね。

生瀬勝久さんがポツンと一軒家2時間スペシャルに出演

そんな生瀬勝久さんですが、ポツンと一軒家にゲスト出演されるようです。生瀬さんはポツンと一軒家に住むことにあこがれはないようで、苦労も多い場所なのではという見方をされているのでしょうか。

バラエティーでも活躍される生瀬勝久さんのポツンと一軒家へ住む方への感想が楽しみです。

まとめ

生瀬勝久さんは芸名「槍魔栗三助」で30歳まで活動していたが、NHK出演や市議会議員の母親への配慮から本名に改名し活動を始めました。

強烈な芸名だったので、遅かれ早かれ改名することにはなったのでしょうね。この芸名からも明るくお笑いの才能もあることが伺えます。それも多方面で活躍されているが故のことだったようです。今後の生瀬勝久さんの活躍も楽しみです。

そして今回はポツンと一軒家にゲスト出演されるとのことでどんなトークが聞けるのか期待しましょう。

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